まみむめ◎めも

日常のいろいろをメモ。

小野小町のゆかりの寺 随心院

 
先日、京都へ日帰りで出かけてきた。
 
 
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随心院(ずいしんいん)

 
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総門
 
JR京都駅からひとつ手前の山科駅で地下鉄に乗り換え、3つ目の小野駅で下車。
徒歩10分弱のところにある。

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境内の一角にある小野梅園は公開中。
今年は春が早いのでどうかと思っていたが、こちらの梅はちょうど見ごろのよう。
思い切って出かけてよかった。
 
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随心院
真言宗善通寺派大本山で、弘法大師の八代目の弟子にあたる仁海僧正が正歴二年(991)に創建した。もとの名は牛皮山曼荼羅寺といい、その名は、ある夜、亡き母が牛に生まれ変わっていることを見た仁海僧正が、その牛を探し求め世話を尽くしたものの、間もなく死んだため、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を描いて本尊としたことに由来する。
その後、第五世増俊が曼荼羅寺塔頭として随心院を建立し、第七世親厳の時、後堀河天皇より門跡の宣旨を受け、門跡寺院となった。
この辺り小野は小野一族が栄えた場所であることから、絶世の美女として名高い小野小町ゆかりの寺としても知られ、境内には小町に寄せられた多くの恋文を埋めたという文塚や、化粧の井戸などが残されている。
梅の美しい寺としても有名で、三月の最終日曜日には小野小町に恋した深草の少将の百夜通いの悲恋伝説をテーマにした「はねず踊り」(はねずとは梅花の薄紅色のこと)が披露される。
 
 
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薬医門
 
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薬医門 玄関 書院
いずれも寛永年間(1624~1631)の建築で九条家ゆかりの天真院尼の寄進によるもの。
玄関の左右に小玄関、使者の間があり、襖絵は狩野永納の時代のもので花鳥山水の図、四愛の図が描かれている。  ~パンフレットより抜粋 以下同様~
 
こちらからは入れず。 
 
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平安時代歌人で絶世の美女と名高い小野小町ゆかりのお寺としても有名。
 
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境内に小倉百人一首にちなんだ石碑がある。
「花のいろは うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
 
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小野小町由緒の遺跡
古来、小野と呼ばれたこの地は「和名抄」の「小野郷」に相当し、小野氏の栄えたところであり、後醍醐天皇陵東には小野寺と称する小野一族の氏寺の遺跡が近年発見され、この地方の大宅、和爾、宮道氏と共に勢力を持っていました。
群書類従正編」によれば、小町は小野篁の孫にあたり、出羽の国司を勤めた良実の娘であるとされています。又、「日本人名辞典」には、出羽の群領小野良実の娘にして、任明の朝五節の舞姫として、宮中の後宮に仕え、容貌秀絶にして、一度笑めば百媚生じ、又、和歌は巧にして、悽婉女流第一の名手たり、とうたわれています。 ~パンフレットより一部抜粋~
 
 
庫裡
 
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総門 庫裡
宝暦三年(1753)二条家より移築されたもので、庫裡は二条家の政所であったもの。

こちらで靴をぬぎ、拝観料を納める。 
 
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お庭には黄色のサンチュのお花が満開。
 
 
ご本尊や狩野派の襖絵などは写真撮影NGだが規制のないところが多いので遠慮なく。
 
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暗いが、杉戸に鶴が描かれている。
 
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表書院からお庭を
 
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極彩色梅匂小町絵図~だるま商店~
 
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とってもポップな襖絵でびっくり。
ミスコンを開催するお寺だけあり、革新的。
 
この襖絵の奥に小野小町文張地蔵尊像、小町の能面、卒塔婆小町坐像などが安置されている。
 
若いころは妍を競ってもやがては衰える。。。
 
 
本堂
 
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本堂
慶長4年(1599)、桃山期の建築で寝殿造りの堂内には本尊並びに諸仏が奉安されている。
 
本堂前からお庭と表書院を眺める。
 
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お庭にはシャクナゲの木。季節にはとてもきれいだろう。
 
奥書院
徳川初期の建造で、狩野派の筆による舞楽の図、節会饗宴の図、賢聖の障子、虎の図よりなっている。
 
奥書院内の襖絵などはどれも撮影NG。
虎の図が特に気に入った。
 
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回廊でぐるっとつながっており、庫裡へ戻る。
 
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この後、春季特別公開 名勝小野梅園ではねず色(薄紅梅色)の梅も楽しませていただく。
 
 
京都市山科区小野御霊町35