杉本美術館で「ー杉本美術館最終展ー絵に生きた画家杉本健吉」を鑑賞してきた。
1987年(昭和62年)杉本健吉氏82才の時に名古屋鉄道により開館した美術館。
名鉄知多線美浜緑苑から徒歩5分、伊勢湾を見下ろせる丘陵に建っている。
残念ながら今月末日で閉館することを知り出かけた。
閉館まで本日を含めてもあと5日。
平日の午後2時半過ぎ、駐車場は満車。路駐も。
タイミングよく、帰る人がいたのですんなり。
出かけるのは今回で2回目だが、最初に出かけたのは平成の初めの頃。
30年近く出かけていなかった。
当時、杉本健吉画伯はご健在で、一日体験教室などの講師もされていた記憶。
体験教室にとても興味を持ったが、何しろ県内とはいえ片道2時間前後かかるので躊躇してしまった。
2004年、訃報を聞いた時は県内にお住まいなのにお会いする機会をみすみす逃していたことを後悔した。
いつでも出かけられると思っていたが、まさかの閉館。
思い立ったが吉日で、思い切って出かけないと機会をなくしてしまう。
レクチャールームから望む伊勢湾。
レクチャールームでは、ご健在だった当時のインタビューのビデオ(30分ぐらい?)が流れている。まだデジタルではないころの映像。
中京テレビのご厚意とのこと。
亡くなったときに特集したもののようだ。
このビデオを見てからもう一度作品を拝見する、作品ひとつひとつがとても生き生きと感じられる。
絵では食べていけないと周囲に諭され、工業デザインを生業にしながら岸田劉生の門下生となったとのこと。
工業デザイン分野で、この地方に大きな功績を残されていると今回初めて知った。
赤い名鉄電車の赤のカラーリング、名鉄タクシーの薄緑と白のカラーリング、名古屋市営地下鉄の東山線の黄色のカラーリングや地下鉄のロゴマーク、御園座の緞帳のデザインも。
名古屋能楽堂の若松と老松も氏の作品。
そういえば当時、能楽堂に「若松はおかしい」との批判の報道を目にした記憶がある。
インドのスケッチ旅行の様子、作家の吉川英治氏との逸話、新館に収められている曼陀羅図や空海像の制作の様子など。
曼陀羅の蓮華の向きに誤りがあるとご本人も笑っておられた。
「人間は間違いをする。」
「どんなに慎重に描いても間違える。」
「この間違いをすることを含めて杉本健吉だ。」
「お釈迦様も許してくださるだろう。」
というようなインタビューが印象的だった。
後でもう一度、曼陀羅を確認したら確かに4カ所、向きや柄に誤りがあった。
ちなみに曼陀羅の中に杉本画伯も描きこまれている。
最初見たときはぜんぜんわからなかったが、2度目ゆっくりゆっくりひとつずつウォーリーを探せ状態で探したらちゃんと見つけられた。
右の下の方に白髪頭で左を向いた姿で描かれている。
2005年の愛地球博用の作品の製作をされていたとのこと。
前年に99才亡くなられたのだが、そのお年での創作意欲に圧倒される。
見習わなくては。
当美術館は写生OKとのことだが、若い頃に奈良の博物館で写生にいそしまれ、その博物館を描いた作品が賞を取って画家として足がかりになったことが影響しているのに違いない。
お庭のオブジェ。
ビデオで新館の屋根に鳩を据える映像があったので、まだあるのか探してみた。
鳩、発見。
が、ビデオのヤツと違う。
よくよく見上げてみると、いろんな所に白い鳩の置物。
ビデオで紹介されていた新館の鳩、木に隠れていたのでなかなか見つからなかった。
当時のビデオでは、こんなに高い木はなかった。
鳩の位置のOKを出された杉本画伯のうれしそうなお顔が印象的だった。
ビデオの中で、この杉本見美術館は墓のようなものだとおっしゃっていた。
閉館にあたり、穏やかな秋の日の夕方、寂寞感にとらわれる。
家族が名鉄の株主なので、株主優待券をもらっていくつもりだったが失念。
受付でフツーに当日券を購入しようと思っていたが、JAFかイオンカードをもっていれば200円OFFにしてくださると案内してくださった。
レクチャールームでお茶をいただこうかと思ったが、本日は完売。残念。